宮日新聞及びMRTへ「求釈明申立書」を送りました

令和6年1月30日、私が宮日新聞とMRTに「訂正報道依頼」をしたら、宮日新聞からは拒絶の回答があり、MRTからは何ら回答がなかった。
一言で言って「稚拙」である。この程度の対応しかできないことは大変残念である。私は若い頃日立グループに在籍していたが、日立ではこんな対応はあり得ない。こんな対応では、日立の看板に傷がつく。そんなことをする社員は日立にはいない。
余り批判すると、正論を述べる私が批判される傾向があるのでこの辺でやめておく。
以下、宮日新聞に送った「求釈明申立書」を紹介する。
尚、MRTにもほぼ同内容の「求釈明申立書」を送った。

宮崎日日新聞社

代表取締役 河野誠二 殿

2024年1月23日付宮崎日日新聞記事「黒木章光氏出馬を断念」によって、市民の間で私に対する誤解や非難が喚起された件について、以下の通り謝罪及び釈明を求めます。

1 当該記事について

先だって黒木章光氏が日向市長選挙出馬取下げ会見をしましたが、その際、黒木章光氏の口から、取下げの理由が、私を想定した上で私が送付した文書が「脅迫まがい」であったから「家族の安全が懸念された」という、明らかに事実と異なる、私に風評被害をもたらして当選を妨害する意図が感じられるコメントが発せられました。
それに対し、宮崎日日新聞は、そのような一方的な個人的(取下げ理由を他人に責任転嫁する)思惑が類推されるコメントを丸で事実かのように報道しました。

その結果、その報道は市民の間で吹聴され、あたかも私が本当に「脅迫まがい」のことをしたかのような風評被害が生じました。一般市民は、マスコミから報じられる内容を盲目的に信用する傾向がありますので、一歩間違うとこのような社会問題に発展します。ましてや、今回は、次の日向市の運営を誰に託すべきかという社会的に極めて重大な意味の市長選挙に、直接大きな影響をもたらす結果を招きました。

2 訂正報道依頼メール

私は、当該記事を報じた宮崎日日新聞に、公正中立であるべき意識と日向市長選挙という重大な社会イベントについての配慮が足らないと考えて、1月30日、「訂正報道依頼メール」を送付しました。

すると、1月30日夕刻、御社日向市局長西脇寛氏が私の事務所を訪れ、来るなり「訂正報道はできません」「黒木さんが送った文書に「攻撃」という文言がありましたよね。」「黒木さんがそういう意図はなくても、「脅迫まがい」に取る人はいます。」などと理由を並べ、訂正する必要はないとの結論でした。私が、「それ(訂正報道しないという決定)は誰の決定か?」と質問すると、「自分が書いたので自分です。」という答えでした。

私は、正直大変驚きました。率直に言いますが、まずマスコミとしての自覚や思慮深さがまったくありません。次に、「訂正報道依頼」を受けたことに対して、その重大さを認識できずに、「とりあえず火消しをしたい」との考えが見え透いており、安易に対応しようとの姿勢が強く感じられました。

私は、正直「これでは話にならない。」と感じ、「上司には相談しましたか?」と尋ねると、「では今から電話で相談しますので、すぐ返事します。」と答えるので、この人を馬鹿にした対応を見て、改めて上司に相談して文書で回答をするように伝えましたが、不満そうな表情を浮かべて立ち去りました。

私は、その一部始終を振り返り、とても私が期待する適切な対応はできないと思いましたので、御社の代表者に正式な文書を送ることにしました。

3 本質

本件には判断の上で認識しなければならない本質がふたつあります。ひとつは、私が黒木章光氏に送った文書は2通あり、ひとつが令和5年12月16日「求釈明申立書」、もうひとつが1月5日手紙です。つまり、1月5日手紙は、「求釈明申立書」に対する回答がなかったことを受けて送ったものです。「求釈明申立書」において私が問題としたのは、黒木章光氏の日向市長選挙出馬動機が、西村氏との陰謀もしくは政略に基づいているのではないかという点です。仮に、陰謀もしくは政略が事実なら、極めて遺憾であり、日向市長選挙自体を冒涜する行為です。

神聖な日向市長選挙を冒涜する行為は、仮に被選挙権の行使だとしても、道義的に決して許されることではありません。言うまでもなく、選挙民(日向市民)を欺く行為だからです。私が最も強調したのはまさにその点であり、陰謀もしくは政略が事実なら、言論をもって「攻撃」すると表現したのです。もちろん「攻撃」という言葉が、物理的な「攻撃」ではなく言論上のそれだということは、当然文脈から容易に理解できる内容です。犯罪を意味する物理的な「攻撃」を文書で使用する者はテロリスト以外あり得ません。

したがって、1月5日手紙は、陰謀もしくは政略の疑いがあることを前提とした内容ですから、どのような判断が求められているかについての問題の本質は「陰謀もしくは政略の事実の有無」です。もし、陰謀もしくは政略が事実なら、黒木章光氏のコメントの解釈はガラリと変わってきます。ところが、御社の記事には、まったくそのような観点がありません。前項2で紹介したように、西脇寛氏の判断は極めて表層的であり短絡的です。1月5日手紙が、日向市長選挙の重大さに基づいた公益を念頭に置いたものであるという認識が足りません。

もうひとつは、取材の基本とも言える黒木章光氏と私の間で徹底して中立であろうとする自覚及び選挙民がどのように受け取るかについての配慮が欠落していることです。例えば、テレビのバラエティー番組でさえ、片方の意見だけを一方的に報じることはしません。違う意見の複数のコメンテーターがいてあるいは当事者が双方いて議論することによって公平性を担保する配慮があります。視聴者の受け止め方はそれぞれですが、少なくとも違う意見があることを知ることで、一方的な評価や判断を避けることができます。民主主義の基本中の基本です。

しかしながら、御社の姿勢は、黒木章光氏の意見を紹介して終わりです。さらに、当事者である私に「黒木さんがそういう意図はなくても、「脅迫まがい」に取る人はいます。」と言い訳をして開き直る始末です。

通常であれば、「脅迫まがい」という過敏な言葉に逆に疑問を感じることの方が自然です。具体的には、真実を隠すためにあえて「脅迫まがい」という過敏な表現を使用したのではないかという見方が必然的に生じます。常識的に考えて前述した通り文書で脅迫するものなどいないからです。少なくとも、私に真意を確かめることが最低限必要です。事実、某社は私に真意を確かめ、手紙の後半に書いた私の将来を見据えての黒木章光氏への助言を評価しました。

今回の御社の報道は、以上の本質がすっぽり抜け落ちています。

4 利益誘導

率直なところ、マスコミは公正中立であるべきところ、現実には違うのではないかという理解が世間にあります。邪推する訳ではありませんが、御社においても、大量の購読者や広告スポンサー寄りの報道を意識的にしている疑いがあります。今回の報道もその一部ではないかという見方ができます。私の選挙妨害をすれば、他の候補者を利することになるからです。

単刀直入に、日向市やコーソクとどれだけ購読契約があり、どれだけ広告費を支払ってもらっているかが影響しているのではないかと考えられます。少なくとも、西脇寛氏の対応には強く疑念を感じました。

5 貴殿の「ごあいさつ」

御社ホームページの貴殿の「ごあいさつ」には、次のように書かれています。「どれが真実なのか、何が正しいのか、あるいは自分にふさわしいのかを見極めることが求められています。」「読者が必要とする情報、読者に知ってもらいたい出来事、警鐘したいことを、信頼できる人から正確に取材して紙面に盛り込むことをこれからも続けていきます。人を陥れることもあるフェイクニュースはありません。そこに新聞記事の信頼性があるのだと痛感しています。」

しかしながら、本件記事は「どれが真実なのか、何が正しいのか、見極めること」なく、「人を陥れることもあるフェイクニュース」同然の記事を掲載したものです。

厳しいことを言えば、貴殿が言っていることは建前であり、実際はそうではありません。

6 謝罪及び求釈明

本件記事は、市民の間で吹聴され、選挙戦において私に多大な悪影響をもたらしました。

つきましては、文書にて、2月7日午後5時までに、謝罪及び釈明を求めます。何卒よろしくお願い申し上げます。

以上


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