「なぜみんなコーソク問題から逃げるのか?」
今朝、長年のひとつの疑問が解けた!その疑問とは「なぜみんなコーソク問題から逃げるのか?」だ。そして、答えは「宮崎県警が怖いから。」である!
私は、これまでに、相当な数の人間にコーソク問題の解決への協力を求めてきた。
日向市議会議員3名、内1名は次期県議会選挙に立候補する立憲民主党富井寿一氏。
次に、宮崎県議会議員10名以上、内4名とのやり取りを紹介する。
まず、令和3年4月、国民民主党田口雄二議員にコーソク不正軽油問題への取り組みをお願いした。すると、4月30日電話があった。「立憲民主党太田清海議員と一緒に、税務課鎌田課長補佐と小城(コジョウ)主幹と面談しました。問題ないと言っています。黒木さん、私は、もうこれ以上この問題とは一切関りを持ちません。」と言うので、私が「それでは県議会議員としての責任放棄になりませんか。」と言うと、「それでも構わない。とにかく、この問題とは関りを持ちません。」
次に令和3年5月、共産党来住一人議員に県議会に提出する「請願書」の紹介議員を依頼した。
数日後、来住氏から電話があり、「紹介議員にはなれない。元従業員の証言くらいでは不正軽油の証拠として足らない。」と言うので、私が「だから県議会で県に質問して欲しいのです。県の不正をチェックすることが県議会議員の役割ではないか。」と言うと、「いやできない。」と固辞するので、「それでは県議会議員としての責任を果たさないことになる。県民を裏切ることになる。」と言うと、「それでも構わない。私はできない。」
引き続き令和3年6月、立憲民主党渡辺創議員(現衆議院議員)に県議会に提出する「請願書」の紹介議員を依頼した。
すると、翌日夕方突然立憲民主党富井寿一市議会議員が自宅にやって来て、「渡辺創さんから「請願書」を返すように預かってきました。」と私に差し出すので、「どういうことだ?」と聞くと、「間もなく県議会議員を辞職して衆議院選挙に立候補するので、この問題の責任を取れないとのことです。」と言うので、「はあ、それはどういう意味か。自分は国会議員になるから、宮崎の問題は知らんということか。」というと、「いやそういうことではありません。」と答えるので、「君は、宮崎の大問題を放置して国会議員になることをおかしいと思わないのか?」と聞くと、富井議員は黙り込んでしまった。
さらに私は、令和3年12月2日、直接永田町の衆議院議員会館まで行って、渡辺創議員に事件解決の協力をお願いした。(その時、たまたま渡辺創議員がいた。)
すると、12月21日、立憲民主党太田清海議員が、富井日向市議会議員と共に突然私を訪れた。
太田議員が、「コーソク問題解決には党として協力できない。」というので、「なぜですか?」と聞くと、「県職員は「コーソクの不正軽油については、問題ありません。議会でコーソクの不正軽油問題を追及すると、逆に名誉棄損でやられますよ。」と言うんですよ。」と言うので、「じゃあ、コーソクという固有名詞を出さずに、県税脱税問題として県の業務を正せばいいじゃないですか。」というと、「いや、県議会は政策論争をする場であって、裁判をする場ではありませんから。」と馬鹿馬鹿しい言い訳をした。
これが、県税脱税事件に対する県議会議員4名の対応である。
皆さん、どう考えてもおかしいと思いませんか?
また、実は、令和3年の後半、ある宮崎の市民運動家が、私の活動に対していろいろと心配して協力してくれていた。ほぼ毎日電話連絡を取り合い、1日に数回電話で話すことも日常だった。
すると、12月20日過ぎ、私に電話があった。「実は宮崎県警から書留が来たようだ。心当たりがないのだが、とりあえず行ってみる。」
その後彼から一切連絡がなくなり、電話かけてもメールしても返事がなくなった。
不気味と言うか、どう考えてもおかしい。
最後が、弁護士である。最近私は複数の弁護士に接触した。コーソクと宮崎県警を相手に戦わなければいけないので、その代理人を探す過程で、数名の弁護士に打診した。
数名の弁護士は皆、コーソクと宮崎県警の名前を出した時点で「できない。」と答えた。
理由は「忙しいから受けられない。」というものだったが、どう考えてもおかしい。
それ以来、私は「なぜみんなコーソク問題から逃げるのか?」考えていた。
今朝突然答えがわかった。
要するに、コーソク問題を追及すると宮崎県警を敵に回し、犯罪をでっち上げて逮捕されるからである。だからみんな怖くて逆らえないのだ。
つまり、宮崎県警は、コーソクの用心棒だった!