延岡市長選挙第14話「総括、喜んでばかりはいられない」

結論を先に言うと、「市民よ、県民よ、国民よ、目を覚ませ!」である。
延岡市長選挙記事も結果的に14回重ねることになったが、最後に、今後の課題を示しつつ、総括しておくことにする。

ご存知の通り、選挙結果は、読谷山氏26094票、永山氏25527票、その差567票という薄氷での読谷山氏勝利だった。
市民対組織で市民が勝ったという結果自体は喜ぶべきことだが、問題がふたつあった。

河野知事による永山氏支援及びポスター問題
読谷山氏は、1年間かけて地道な広報活動を積み重ねてきた結果、名前と掲げる政策の認知度が高まった。
一方、聞く所では、永山氏は、組織票のみに依存して知名度がなかなかあがらない中、河野知事との合同集会とツーショットのポスターによって終盤に急速に追い上げた。
その結果が、わずか567票という僅差となって現れた。
さて、これって、フェアな戦いと言えるのか?
これは、河野知事の自由な政治活動か?知事としての仕事の一部か?
巷で、かなり疑問の声が上がっている。
今回は、読谷山氏が永山氏の追い上げを振り切ったが、もし、永山氏が勝っていたら、河野知事の不当な活動によって民意が否定されるという事態に陥っていたことになる。
とんでもないことである。
今回の河野知事の不当な活動は、公人としての分別とモラルの欠如が、民意の否定という重大な害悪を招きかねないことを生々しく示した。

負のスパイラル、低投票率問題
投票率49・68%、有権者数10万4500人の内、半数以上の5万2879人が投票していない。
投票にいかなかった人達は、将来に何を望んでいるのだろうか?
政治には何も望んでいないということか?
どちらの候補者にも期待していないということか?
政治家と行政のエゴ無能振りに呆れ果て、棄権をすることで抵抗の意思を示しているのか?
よく言われるのは「どちらが市長になっても変わらない。」という諦め。

しかし、政治家と行政に対する諦めは、極めて危険である。
それこそ、エゴ無能振りを誘発するからだ。
分かり易く言うと、「やりたい放題」を助長する。
現実に、国も県も市町村も「やりたい放題」現象が日常化している。
表面化していないだけで、実際には相当ある。
なぜそんなことが続けられるのか?
国民が無関心だからだ。
安倍総理がその最たる姿である。(ここでは、長くなるので解説しない。)

政治家は、次の選挙への危機感があれば、緊張感を持って過ごさなければならない。
ところが、選挙民が政治に無関心(政治の中身を問わない)なら、選挙の時だけ、できもしない公約を掲げ、ニコニコ人気取りだけしていればいい。
一旦選挙に当選すれば、その後はあちこちから頭を下げられ、楽して儲かる天国だ。
「選挙の時のあの公約はどうなったのか?」と問われても、責任を取らされることもないので、ウソのつき放題だ。

これが今の日本の姿だ。
「またまた大袈裟な。あなた誰かに恨みでもあるの?」という声が聞こえそうだが、大袈裟でも、恨みもないし、私は、ただ真実を大真面目に語っている。
間違いなく、国民のおおよそ95%以上が騙されているだけである。

この低投票率は、国民の悲劇をまだまだ招く。
しかも、社会的弱者が真っ先に犠牲になる。
政治家と公務員の給料は異常に高く、様々な優遇があり、庁舎は一流ホテル並みで、国も自治体も借金まみれで、アメリカから数千億円規模のミサイルを言い値で購入し、仲間内に優先して補助金をじゃぶじゃぶ与え、医療費・社会福祉費、年金額を抑え、自分達は高額の退職金を手にし、引退後は天下りポストで遊びながら収入を得て、最後は、消費税を上げて、社会的弱者に止めを刺す。
今、上記の通りの政治家と公務員にとって理想的な社会建設が、着々と進められている。
繰り返すが、戯言ではない。現実だ。
いや、今後はもっと酷くなる。
不満を持った社会的弱者による残虐な事件が増える。
「やりたい放題」連中を標的にしたテロが多発する。
取締りが厳しくなり、警察権力が強大な権力を持ち、無実の一般市民を逮捕し、有罪にする。(関係者は、罪を犯しても不起訴になって無罪放面となる。)
犠牲となるのは、圧倒的に社会的弱者ばかりだ。

それでもやはり、投票に行かずに、家でのんびりしていた方がいいですか?

何が言いたいのかと言うと、分別に欠け欲深い政治家と公務員に「やりたい放題」させているのは、半分は本人達の所為だけど、半分は迎合するマスコミと国民の無関心がそれを許しているからである。
そして、今すぐ一人一人ができることは、政治に関心を持ち、厳しい目を向けることである。
誰のためでもない。自分自身と、子供や孫達のために。

このシリーズはこれで終了するが、黄門隊は、今後も引き続き、政治と行政に厳しい目を向け、警鐘を鳴らし続ける。
子供や孫達に不健全な社会を残すという罪を犯したくないからだ。

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