第1章 安倍政権という災い

1 アベノミクス災害

2015年5月に内閣官房から発行された「やわらか成長戦略」というアベノミクスの紹介パンフレットがある。いわゆる国民向けの宣伝である。

今から4年前のこのパンフレットの内容を見ると、いかにアベノミクスが、机上の空論で、かつまやかしだったかがよく分かる。31ページの全体に触れる必要もないので、ここでは、概略が把握できる3ページのみ解説する。14ページ以降の資料を参照されたい。

まず、お馴染みの「3本の矢」。第1の矢=大胆な金融政策「金融緩和で流通するお金の量を増やし、デフレマインドを払拭」とあるが、ご存知の通り、株価を下支えしただけで、デフレマインドはまったく払拭されなかった。すなわち、デフレ不況は底堅く、一貫して堅調だった。

第2の矢=機動的な財政政策「約10兆円規模の経済対策予算によって、政府が自ら率先して需要を創出」とあるが、例のごとく、主に安倍友と言われる事業者に、ジャブジャブお金をプレゼントしたことは良く知られているが、GDPを押し上げたことは事実として確認されていない。

第3の矢=民間投資を喚起する成長戦略「規制緩和によって、民間企業や個人が真の実力を発揮できる社会へ」とあるが、なるほど、農業、医療・薬品、水道、労働市場など、大手と外資という民間企業が真の実力を発揮できるように、規制緩和がどんどん進んだ。そして、ますます、国民の富と安全が脅かされる社会構造が形成された。

すなわち、3本の矢は、安倍政権が、国民生活を破壊するために放った、強烈な攻撃の矢だったというわけである。

次が、「経済の好循環」。「企業の業績改善は、雇用の拡大や所得の上昇につながり、さらなる消費の増加をもたらすことが期待されます。こうした「経済の好循環」を実現し、景気回復の実感を全国津々浦々に届けます。」とあって、イベントポスターのデザインのような円形の図が描かれている。

問題は、企業の業績改善 → 投資の拡大 → 賃金の増加 →消費の拡大という、経済の好循環を表す円形の図が、単なるデザインになってしまっていることだ。なぜなら、業績改善が、低金利と労働コストの削減に支えられたものであり、その先の投資・賃金・消費の拡大に繋がっていない、すなわち循環していないからである。

三番目が、「成長戦略・4つの視点」。4つの視点として、「投資の促進」「世界経済とのさらなる統合」「人材の活躍強化」「新たな市場の創出」とある。そして、それぞれの図には、「新しい事業にチャレンジ!」「世界の真ん中で輝く日本へ!」「個性を生かしてみんなが活躍!」「大きな課題は、大きなチャンス!」という言葉が踊っている。

これに至っては、ほとんど、成長戦略というよりは、イベントのキャッチコピーレベルの代物でしかない。

今の今まで私も大変迂闊だったと反省するしかないが、先進国(?)である日本の総理大臣が、アベノミクスという仰々しい固有名詞で、大上段に構えて国民に示したものとは、実は、こんな寒々しい中身のない政策と、不当表示防止法違反に相当するレベルのキャッチコピーだった。

私は、これまでに度々地元自治体(日向市)の政策を分析してきたが、その度に感じてきたことと同様な印象を持ったことに、正直驚いた。その印象とは、掲げた政策メニュー一式が、まるでレシピのような印象で、違和感を覚えることである。
どんな違和感かと言うと、つまり料理のレシピのように、いろいろな食材を使って、書いてある通りに調理すると、予定通り美味しい料理が出来上がるかのような机上の空論に感じる違和感である。
実際の政策は、口を利かない食材が相手ではなく、オーケストラの指揮者の様に、タクトに合わせる演奏者が相手でもなく、生きた人であり、生活であり、事業であり、街である。
そして、政策によってもたらされる成果とは、もちろん美味しい料理ではなく、生きていく上で不足しているもの、あるいは困っている点を満たし、公共の福祉を向上させることである。さらに、未来への希望を与えられたら尚良い。逆に言えば、不足しているもの、あるいは困っている点を満たされてもいないのに、明るい希望などは持てない。それが、圧倒的多数の庶民生活の現実だ。政策を評価する時、その根本的視点があるのか、ないのかは、決定的差である。
あたかも美味しい料理が出来上がるかのようなレシピっぽい政策案は、私に言わせたらバツだ。そんな現実感覚にずれた実現できない机上の理屈より、不足しているもの、あるいは困っている点に、もっと目を向けろと言いたい。

この「やわらか成長戦略」の中身は、あたかも、有名広告代理店に丸投げして作らせたかのような、地元自治体の政策と同次元のレシピっぽさを感じた。そして、われわれは、何とこのペテン政権を7年近く許し続けている。ペテン政権は、決して国民への約束を果さない。しかも、長引けば長引くほど、約束は大きく破られる。われわれ国民は、気がついてみたら、アベノミクス災害を復興しなければならないという、より重い負担を背負わされていたことになる。

それにしても、アベノミクスという見せかけ倒れの政策を提唱し、その内容(一応言葉を上では戦略ということになるが)を考案したのは誰であろうか?こ、こんな薄っぺらなものを恥ずかしげもなく、内外に示した勇気に驚嘆する。

と同時に、われわれ国民は大いに反省しなければならないだろう。アベノミクスに対して、なぜ国民的な論争がもっと早い時期に盛り上がらなかったのか?この先、同じことを繰り返したら、万死に値するだろう。アベノミクスには、良心と良識、明晰な頭脳と国民への責任感が決定的に欠けている。

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