一党支配政治の弊害と国難

実は、私は、2年前に1冊の本を書いた。
「日本再生の救世主はだれか?」というタイトルで、山本太郎氏への期待感から名付けた。
きっかけは、2019年5月山本太郎氏の小倉駅前での会見(演説)だった。
正直、一人の政治家の話に微動だにできずに引き込まれた経験は初めてだった。
私は、一度政治とちゃんと向き合う必要があると思った。
いろいろ調べていく内に行き着いたのは、自民党一党支配政治という構造的問題だった。
そこで、この本を書いた。第一の目的は、自民党一党支配政治の弊害を解き明かし、日本再生のためには、自民党一党支配政治を脱却する必要があることを伝えるためだった。

私が知る限り、なぜかこれまでこのテーマが本格的に議論されたことはない。
私は、数十年前から小沢一郎氏が持論としているこの考え方に賛同している。
つまり、「何党が正しい」「何党が好き」という選択は、一党支配政治の下では、実質的な意味を持たない。
政権交代の可能性がない国民の選ぶ権利が反映されない政治では、民主主義は実現しない。

そして、実際に、この国では民主主義が実現せず、自民党一党支配政治の弊害の歴史が刻まれてきた。
私は、この本でその総括をして、今後の進むべき道を示したかった。

さて、2021年10月31日、終わったばかりの総選挙の結果を見て、私は、ますます不安になった。
選挙結果は民意を表すが、民主主義が未成熟な日本では、投票率が低く、決して完全に民意が示されたものとは言えず、また、民意が間違っている可能性も低くない。

そのような観点から、このシリーズでは、本から抜粋しつつ、改めて問題提起したい。
初めに、私が作成した「年表」を示しておく。
是非、この「年表」が物語っていることを感じて欲しい。


一党支配政治の弊害と国難

日本は、もとより、島国でほぼ単一民族、単一文化であるために、極めて支配しやすい社会構造である。

また、戦後4分の3世紀もの間、一時期を除き自民党一党支配が続いたということは、この国は、実態として、民主制というより共産主義国家と変わりなく、実は資本主義の仮面を被った社会主義国だと言える。

この一党支配という政治構造は、時代の歯車とかみ合っている限りは弊害を抑えることが可能だが、一度かみ合わなくなると、深刻な弊害を生じ、その原因が、ほとんどの場合リーダーの能力や資質といった属人的要素にあるため、そのリーダーが指揮を執る限り修正不能となる。

さて民主党政権の自壊により誕生した安倍政権は、権力の集中を図り、支配力を強化した。つまり、特定秘密保護法、国家戦略特区などの支配的な政策遂行を可能にする法制化を進め、消費増税と法人減税をセットにした緊縮財政を組み、金融緩和と円安誘導及び規制緩和をセットにした大企業支援策によって、富の偏在と集中が進んだ。

しかしながら、3本の矢を含めたこれらのポリシーミックスがもたらしたものは、結果的に成果は少なく、弊害ばかりである。

まず、消費増税と実質所得の低下によりデフレ脱却に失敗した。つまり、経済成長によって国民が等しく得られる筈の豊かさが得られず、逆に格差拡大によって貧困層が増え、負のスパイラルが形成された。

大企業に目先のアメを与えるだけの政策中心となり、長期的展望に立った産業政策に欠け、AI、代替エネルギー、IT、通信など、多くの分野で国際競争力に遅れをとった。

モリカケ初め、特定人物、特定企業との関係が政策を左右する極めて不健全な利権構造が、全国的に拡大蔓延した。

何を言っても無駄、一般国民は無視されるだけという厭世観が国民に浸透し、政治的無関心層を増やし、国民から、希望、活力、幸福感を奪った。

行政現場で保身傾向が強まり、公務員は、国民に奉仕することより、権力に従うことのみを目的化する傾向が定着し、違法行為や隠ぺいが常態化するなど、モラルが著しく荒廃してしまった。

そしてここに列挙した弊害は、現場にも、統計や指標にも明確に現れている。私は、学者ではないので、専門的観点ではなく、一国民の視点で、それらを本書の中でピックアップしてみた。

自民党一党支配の弊害を改めて検証すると、その弊害が顕著となったのは、小泉政権以降である。

時はバブルが崩壊し、デフレ経済が深刻化するなど、出口戦略が求められていた。仮に、もしこの時、10年以上の長期的展望で産業構造の転換を図り、新たな成長戦略を描き、積極的な長期政策を実施していたら、デフレの長期化や格差社会の進展という国難を、自ら迎い入れることはなかった筈だ。

しかし、実際には、消費増税や社会保険料引上げ、郵政民営化、労働者派遣業法改正を初めとする企業迎合規制緩和、緊縮財政、原発推進など、利権の維持と需要抑制策をとった。これでは、デフレ脱却ができる筈もなく、国民経済が、疲弊路線のレールに乗ったのは当然である。

小泉退陣後、自民党政権は瞬く間に行き詰まり、民主党政権が誕生したが、組織的に自壊した上、野田政権がデフレをダメ押しする最悪の消費増税を決めた。そして安倍政権は、先に見た通りだ。つまり、この30年近く、何より日本政治自体が国難だった訳である。

自民党一党支配政治の目的地

 「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言った福沢諭吉は、封建的束縛からの個人の解放を通じて、民主社会の実現を目指した。また、明治政府による言論の弾圧(主催する新聞「時事新報」に対する5回に渡る発刊停止)に対しては、「国家権力は、国民の自由と権利を抑えるのではなく、国民に自由と権利を保障しなければならない。」と主張した。

しかし、100年以上も前に諭吉が目指していた社会は、今現在実現しているだろうか?自民党一党支配、とりわけ小泉、安倍両政権の柱である規制緩和を含むアメリカ及び大企業迎合政策は、格差社会の生みの親となり、実質的に国民の経済生活の選択権を狭め、個人の解放とは逆行する社会構造をもたらした。

言い換えるなら、自民党一党支配政治が目指して来たのは、富の集中を通じて治者階級による支配構造を確立し、封建的経済社会を実現することだった。少なくとも、安倍政権は、消費税増税は断行しても、格差是正には本気で取り組まない。防衛予算は増額しても、第1次産業の構造改革は後手に止まっている。原子力発電は推進しても、代替エネルギー推進の取り組みには積極的ではない。

これらの検証結果から見えてくる自民党一党支配政治の目的地は、民主社会の実現を目指した諭吉が、最も否定していた封建社会そのものである。

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