第1話「これが民主主義か?」

民主主義ではない現実

最近の国政、県政、市政を見たり接したりしていると、「これが民主主義か?」と疑ってしまう。
自民党総裁選は実質派閥争いの結果に過ぎない。
国政は、止まる所を知らない不祥事と不正隠蔽、国民の納得を得ないままの法案の強引な成立、世論より金と権力で全てが決まっている。
裁判は、辺野古基地用地埋め立て推進、1審判決を無視した諫早湾水門閉鎖の決定、原発差止め訴訟の相次ぐ棄却など、国家権力に沿う判決の連発。(単に形式的に裁判の形を取っているだけ)

県政も同様に、止まる所を知らない不祥事と不正隠蔽、にも拘らず、全くの無反省と責任回避、そして県民無視、さらに県民を馬鹿にした対応。

市政は、とにかく利権優先、市民の知らない所で、あるいは、にこにこ笑顔を振り撒きながら市民を騙してやりたい放題。

民主主義とは何か?

われわれが中学高校で教わった民主主義とは、これのことだったのか?
いや、そうではないだろう。

民主主義とは、国民、県民、市民が、代表である議員を通じて、施政者と対等な立場で、オープンな議論をして、制度や政策を決定し、公明正大な運用をすることではなかったのか?

第16代アメリカ合衆国大統領リンカーンは、かの有名なゲチスバーグで、次のように演説した。

「ここで戦った人々が気高くもここまで勇敢に推し進めてきた未完の事業にここでささげるべきは、むしろ生きているわれわれなのである。われわれの目の前に残された偉大な事業にここで身をささげるべきは、むしろわれわれ自身なのである。それは、名誉ある戦死者たちが、最後の全力を尽くして身命をささげた偉大な大義に対して、彼らの後を受け継いで、われわれが一層の献身を決意することであり、これらの戦死者の死を決して無駄にしないために、この国に神の下で自由の新しい誕生を迎えさせるために、そして、人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させないために、われわれがここで固く決意することである。」

偉大な大義

リンカーンが述べた偉大な大義とは、自由平等な民主主義社会であり、その実現のために不可欠なものとして言い表した言葉が「人民の人民による人民のための政治」だった。

アメリカ社会も、常に、人種差別を始め、移民問題、テロとの戦い、セクハラ、虐待、経済格差などの緒問題に苦しみつつ、国民の総意として、民主主義を守るという価値観を維持してきた。

不自由不平等社会

一方わが国は、国民の総意として、民主主義を守るという価値観が希薄であり、国民には、何が正義だか分からなくなっている。
具体的に言えば、利権の恩恵に浴することが優先され、それが自由平等の原則や道徳上の道から外れていたとしても良しとする風潮と利己主義が結果として肯定されている。

すなわち、偉大な大義である自由平等な民主主義社会を守ることとは真逆の、実に卑しい考え方(利己主義)が、大手を振ってまかり通っているのだ。

今私が、自由平等な民主主義社会を守ることを目指して異を唱えると、各方面から非難され、嫌がられる。
不正を追求すれば、目に見えない圧力がかかり、目に見える脅迫すらお目見えする。

狂気である。
日本社会と日本人は、集団麻酔にかかっていて、狂気に向かって突き進んでいる。
突き進んだ先に待っているのは、信頼に値しない強欲者ばかりしかいないさもしい腐敗社会である。

現に、腐敗社会を目の当たりにした私は、公務員、司法関係者、裁判官、金融機関、政治家、マスコミ、医療機関等々の多くを信用できない。
安易に信用するなら、たちまち餌食にされるだろう。
今では、この国で非民主的不自由不平等社会は、ほぼ確立された。

残念ながら、今後日本人は、自ら招いた腐敗社会という大きな癌細胞に苦しみ続けなければいけないだろう。

民主主義実現への道のり

民主主義を諦めたわけではないし、実現への努力を止めるつもりもない。
しかし、日本社会全体が、日大理事会や相撲協会化している現実がある。
日本政府も宮崎県庁も日向市役所も裁判所も検察も警察も、基本的には同じ状況がある。
自分達はそう思っていないかも知れないが、内部の構成員に認識できないだけで、価値観と構造的メカニズムには大差ない。
具体的に言うと、組織防衛及び利害優先の、虚飾の名誉でしか価値を維持できない人間集団が彼らの正体である。

さて、ということを前提にすると、それらとどうやって対峙するかが問題である。
私が見つけた唯一の解決法、それは、対等でオープンな議論である。
多少の戸惑いはあったが、過去2年間それを貫いてみた。
もちろん、功を奏する場合と、あまり通用しない場合がある。
しかし、やって見て分かったが、それを実践することで、次の道が見えてくる場合が多かった。
つまり、やる価値はある。

対等でオープンな議論をするためには、不可欠な条件がある。

①事実に基づき、隠さないこと。
②妥協しないこと。
③策を弄しないこと。
④しっかりした理論的根拠を持つこと。
⑤多面的に考察しつつ、常に本質を見失わないこと。

何も持たない強み

私は、財産も地位も社会的名声も、何も持たない。
逆に言えば、失うものは何もない。
場合によっては強みになる。

民主主義は日本社会から失われた。
この代償は大きく、苦しみの大きさは、所有する財産や地位や社会的名声で補っても補い切れないだろう。
愚かである。

私に与えられた使命、それは、何も持たない私が代表となって、正々堂々と論戦を繰り広げ、日向市に宮崎県に日本に、自由と平等を取り戻すことではないかと考えている。
前進あるのみ。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク