延岡市長選挙第4話「河野知事宛要請書提出」

平成29年12月29日、以下の通り、河野知事宛要請書を提出いたしました。

宮崎県知事 河野俊嗣 殿

謹啓 時下益々ご清栄のこととお喜び申し上げます。

私は、日向市在住の一県民です。先日、用事があって延岡市に行きましたところ、貴殿と永山氏が並んだポスターが、あちこちに大量に貼られていたことから、大いに疑問を感じ、本要請書提出に至った次第です。

「県北の未来を語る集い」の建前としては、弁士として、貴殿と前県総合政策部長の永山氏が講演するという趣旨のイベントのようですが、このポスターを見た人は、100人中100人が、貴殿の「延岡市長選挙では、永山氏への投票をお願いします。」というメッセージだと受け止めるのではないかと思われます。

そのような誤解を生む可能性があるというレベルではなく、それ以外の合理的解釈など見つかりません。

これは例えば、AとBという延岡市の2大焼酎ブランドがあった時、貴殿が知事というネームバリューを利用して「私は、BよりAを勧めます。皆さんも、Aをどうぞ!」と言いつつ宣伝していることと同じではないでしょうか。

もし、貴殿が宮崎河野党という政党の党首で、永山氏が宮崎河野党所属の候補予定者であれば理解できないではありません。あるいは、貴殿が著名な芸能人で、プライベートな付き合いのある友人が選挙に立候補を表明し、友情から応援を買って出たのであれば理解できないではありません。

しかし、実際はそうではありません。延岡市という自治体の自治の選択に対して、県知事という権力者が越権して影響を与えることになるのではないでしょうか。

本来的に、延岡市の自治の選択は、延岡市民に委ねるべきです。プライベートな付き合いのある延岡市民以外の候補予定者の友人が、私人として、友人である候補予定者を応援する分には構いません。

しかし、貴殿は私人ではなく公人です。公人は、公人としての立場で影響力を行使する場合、公益という観点から離れてはならず、個人との関わりにおいて、絶対的に中立でなければなりません。したがって、貴殿の広報マンとしての影響力の行使は、知事としての地位と権力の濫用ではないでしょうか。

この手の話は珍しくありませんが、いつも感じるのは、「勝てば官軍」という考えに支配され、その結果として、延岡市政の独立性、延岡市民の公益、公明正大という無形の価値観などが蔑ろにされ、市民不在の低次元な縄張り合戦に拍車がかかるのではないかという懸念です。

私は、宮崎県民の一人として、現職の県知事が市民不在の低次元な縄張り合戦の当事者になることを望みません。庶民の感覚としては、単純に「不公平ではないか?」という疑問を感じます。他の者も同様な意見が多いように思います。この「不公平(アンフェア)である」という情況は、法的に問題があるかどうかに関係なく、社会秩序を揺るがす避けるべき事態です。また、その原因を作った当事者が公人である現職の知事なら、その責任を厳しく問われるべきことです。

以上の理由から、私は、貴殿の「県北の未来を語る集い」への不参加を要請いたします。仮に、予定通り貴殿が参加した場合、先程述べました懸念が現実のものとなり、逆に貴殿の名誉に傷がつくこともあり得ます。そのような事態にでもなるなら、後味の悪い禍根を残す結果となります。ですので、そのような事態を未然に避ける意味でも、賢明な判断が求められるのではないでしょうか。

国政しかりですが、歴史上、現代ほどリーダーの質が低下し、リーダーの口から出てくる言葉が空々しい美辞麗句ばかりで、中身がなく、行動が伴わず、人々の信頼を裏切り続け、信用に値しない時代はないように感じます。

それに輪をかけ、そのことにすら気がついていない思慮の浅いリーダーと、権益を求め続ける人々との醜悪な連帯が、人々の苦しみを倍化する結果を招いている悲惨な社会が、現代日本の姿だと感じています。私は、今後日本の国際的凋落が予想される今、本質を見失わない歴史認識を持ち、経世済民を行動で示すリーダーがこれほど待ち望まれていると時代はないと痛感します。

つきましては、大義に従い、時代の要請や県民の声をしっかり受け留め、ご英断のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。                                   謹白

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