延岡市長選候補者比較その2「政策分析」

前回お二人の政策評価をしており、その責任もあるので今回政策分析を試みた。
もちろん、客観性に努めたけれども、独断であることには違いなく、その旨ご了承いただきたい。
しかし、前回同様、遊び気分で、てきとうに分析した訳ではない。
基本は、延岡市民に正しい選択をしていただくため、そして、県北を引っ張っていく責任を担い、日向市と共に県北発展を推進していただくためである。
私の持論だが、県北全体の発展というベクトルが必要である。
そのためには、延岡日向がバラバラではいけない。ベクトルを一致させることで成果を大きくできる筈だ。
延岡日向が、人、物、金を意欲的に共有かつ交流し生かすことで、零細都市ではなく中堅都市規模の事業成果を生み出せる筈だ。
したがって、来る延岡市長選挙は、県北再生の足掛かりを築くことができるかどうかという、大きな意味を持っているとさえ言える。

さて、前回私は、評価の物差しとして、次の5項目を採用した。

1.狙いの的確性
2.内容の具体性
3.実現可能性
4.創造性
5.整合性・合理性

今回は、目的が評価ではなく分析なので、よりリアルなかつ科学的な物差しが必要である。
と言っても難解な内容になっては意味がないし、今回の目的は選挙民に対し判断基準を示すことなので、前回の「3.実現可能性」に焦点を絞り平易な表現で分析を試みたい。
リアルな物差しとは、具体的には、皆さんよくご存知の5W1H「いつ(When)、どこで(Where)、だれが(Who)、なにを(What)、なぜ(Why)、どのように(How)」である。
とりわけ重要な観点は、「だれが(Who)、いつ(When)までに、どのように(How)」の三つである。
つまり、「なにを(What)、なぜ(Why)」については、政策が公表された段階で既におおよそ決まっているので、今回に関しては分析の対象にしない。

そして前置きが長くなったが、もう一つ断っておく。
今回、個別の政策の良し悪しは分析しないことにする。
なぜなら、市民にとって大事なのは、あくまで「実現可能性」すなわち「結果として実際何がもたらされるの?」であり、”掲げられた政策の数量や内容の良し悪し”は、その点において意味がないからである。(実現できない個別政策を分析するのはナンセンス)
以下、お二人の政策について、分かり易く、特徴を箇条書きにして、最後に総評とする。


それでは、まず永山英也氏の政策について分析する。
「永山ひでなりの政策」をご覧頂きたい。
構成は、Ⅰ. 真に安全で安心な社会づくり、Ⅱ. 活力に溢れた延岡づくり、Ⅲ. 未来を築く投資の3部構成。
特徴
1.量の多さ
量的に膨大で、ホームページを印刷すると13ページに達する。ただ、基本的に政策の量と実際何がもたらされるのかは比例しないので、問題は実現できるかどうかの検討である。
それにしても、よくこれだけ羅列したものだ。
34分野、104項目に渡って記述されている。
市民に伝わるかどうかは別にして、言葉に出来る事を全て吐き出して文章にした印象だ。
役人特有の唯我独尊という心配が生じた。
2.「だれが(Who)、いつ(When)までに」は全くなし
104項目に渡って記述している中に、「だれが、いつまでにするのか」は一切記述がない。
「だれが、いつまでにするのか」についてはそもそも考慮していないのか、改めて考えるつもりか?その点がはっきりしない掴みどころのない政策である。
思わず、「これほどの量を、一体だれがいつまでにするのですか?」と質問したくなる衝動を感じた。
3.文末表現5パターン
文末は、そのほとんどが以下の5パターンで表現される。
「図ります」17ヶ所、「取り組みます」5ヶ所、「目指します・努めます」17ヶ所、「促進・推進します」56ヶ所、「支援します」11ヶ所の計106ヶ所。
項目数は104項目だから、ほとんど上記表現のいずれかになる。
肝心の”実現性”という観点で読んだ時、非常に不安を感じた。
4.具体名称のある制度や企画
「だれが、いつまでにするのか」は上記の通り記述がないが、具体名称がついた制度及び企画だけでも14個もある。
①子育てサポートのサテライトオフィスの設置 ②県北医療協議会の設置 ③危機管理課の設置 ④産業支援機構(仮称)の設置 ⑤中小企業振興条例制定 ⑥延岡ビジネスサポートセンターの設置 ⑦一次産業振興プロジェクトを立上 ⑧人材確保会議の設置 ⑨延岡工業高校に専攻科を設置 ⑩広域DMOを設立 ⑪教育座談会の設置 ⑫人材育成塾を開講 ⑬未来会議の設置 ⑭地域支援チーム作成
もし具体的なプランができているなら明らかにして欲しいところだが、内容や予算、スタッフ、運営要領、マネジメント、スケジュールなどの詳細が明らかになっていないので、公約と考えて良い具体案なのか、単なるアイデア程度のものなのかは分からない。
それにしても、「だれが、いつまでにするの?」
5.整合性
これだけの政策を公表しつつ、一方で、行財政改革について次のように述べている。
「行財政改革を推進し、行政の生産性を向上させることで、効率的・効果的な行政運営を行います。」(「行財政改革を推進し、行政の生産性を向上」という表現はあまりにも抽象的)
「事務事業の見直しを精力的に行い、真に必要な政策を推進できる財源を確保します。」
片や膨大とも言える政策を推進しますと言う一方で、事務事業の見直しを行い、真に必要な政策を推進とは、矛盾ではないか?
つまり、核ミサイル開発をしながら軍事費を削減すると言っているようなものではないか?
総評
正直言って、選挙用の政策=プロパガンダ(宣伝)だと訝しげに読まざるを得ない内容である。
逆に、これを真面目に公表したのだとしたら「この人大丈夫?」と思ってしまう。
いや、「この人」ではすまない。「延岡大丈夫?」になってしまうので、危険である。
どちらにしろ、どうしても拭い去れない”役人目線”が気になって仕方がない。
分かり易く言うと、”現実”が見えていない。そして、”現実が見えていないことに気がついていない。”
その点において、日向市の前黒木健二氏と全く共通している。
彼も前職は県の商工労働部長だった。
今の日向市は、彼が3期12年も市長をした結果である。
日向市は、様々なポテンシャル(潜在能力)を秘めていながら、全く宝の持ち腐れ状態だ。
黒木健二市長がしたのは、主に、箱物建設、利益誘導、yesman職員の養成、財政悪化である。
そして、もう一つの特徴が、何の役にも立たないビジョン作成(例として「日向市総合計画」「細島港を核としたグランドデザイン」など)。
彼は、これらの作成に大金と膨大な時間と膨大な人数をかけた。
結果は、市民のためには、何の役にも立っていない。
私は、途中何度も警告したが、日向市の優秀な職員達も議員達も、黒木健二市長に、ただひたすら従い、延々とお付合いをしていた。
延岡の市民にも大声で伝えておきたい。
現実を知らない誇大妄想で唯我独尊の役人が市長にでもなったら、市全体が衰退の道を歩むことになる。
子供と孫の世代になって気付いても、もう手遅れだ。
あーそうそう、永山ひでなり後援会facebookページには「自分の言葉に責任を持つこと」と書いてあったことを、付け加えておく。


次に、読谷山洋司氏の政策について分析する。
よみやま洋司政策提言・政治信条」をご覧頂きたい。
内容は、シンプルかつ実戦的なものが並んでいる。
特徴
1.即効性
即効性は何と言っても読谷山氏の政策の第一の特徴に挙げられるだろう。
読谷山氏が経営者として「こどもーる」という新しい業態を開発したことを見れば分かるように、「失敗を恐れず行動に移す」という点は、読谷山氏の真骨頂である。
したがって、政策はどれも、明日からでもやれて、すぐに結果が確かめられるものが多い。
逆に言うと、じっくり構えるタイプではないが、どの政策もブレイクスルーを生み出す導火線の役割は期待できる。
「だれが、いつまでにするのか」については、問う意味がないくらい、読谷山氏は自分ですぐにでもやり始めるに違いない。
ただ、だれかそばにいて交通整理をしてやる必要はありそうだ。
2.産業・雇用政策
官僚及び行政職としてよりは、企業経営者及び経営コンサルタントとしての経歴と活動が政策に大きく反映している。
そこから、延岡経済リンケージ機構(総合商社機能)設立、農山漁村版ハローワーク設立、地域新電力会社設立、県北一丸となった新たな観光振興政策といった政策立案に繋がっている。
どれだけの成果が上がるかは未知数だが、上記1で述べたように、ブレイクスルーを生み出す導火線の役割は期待できる。
いかに、その道の有能な専門家を連れてこれるかが結果を大きく左右するだろう。
3.福祉・教育政策
次に力点を置かれているのが、福祉・教育分野である。
365日駆け込み寺設置、こども未来創造機構(工業技術、トップアスリート、地域の知恵伝授)、空きビル活用による新型病院(医師不足解消)など特徴的なアイデアに基づく政策となっている。
産業・雇用政策と比べて、アイデア先行の感があり、実務面の実現性を向上させないと、いわゆるアイデア倒れになる危険性もある。
また、いずれもマネジメント力が問われる企画であり、それを担える人材を見つけることが出来ないと実際は厳しい。
4.市民が主役の市政
予算編成や大規模事業を決める前に必ず市民の声を聴く「まちづくり基本条例」を制定するとしているが、具体的な制度内容が見えない。
この辺は、両刃の剣の可能性があり、「市民の声を聴く」ことのプラス面を確実に生かす仕掛けが必要となる。
ただ、コンセプトとしては生かしたいものであることには違いない。
単なる象徴的な飾りに過ぎないのか、実効性のある政策の柱なのか、位置付けを中途半端にしないことだ。
5.総合性
個別政策の成果を足し算して総合的な政策成果が決まる訳ではない。
したがって、どのような総合的結果を目指すのかというテーマにおいて、マネジメント力が問われる。
その点は現時点で見えていないが、「延岡は勇気をもって”脱皮”しなければならない。」という明確なベクトルが打ち出されている点は、期待したいところだ。
総評
読谷山氏の経歴、経験、見識、リーダーシップにはやはり期待したい。
問題がないとは言えない。
個人プレイには限界がある。
そうした、足らないものを補完する柔軟性と流されない攻めの姿勢が欠かせないだろう。
間違いなく学習能力は高いので、乗り越える筈である。


まとめ
最初断った通り、私の独断であることには違いない。
しかし、ただの独断ではない。
最後に肝心なことを言っておきたい。
地方自治体の長は、河村名古屋市長、小池都知事、橋下元大阪市長などを見れば分かるように、だれがするかで状況が一変する可能性を秘めている。
もちろんほとんどは首長が変わっても一変しない。
一変しないどころか、何も変わらずジリ貧になっていく、あるいは、市民の声などほとんど反映されず、一部の者達のための市政が続く例も溢れている。
その理由のひとつは、役人という独特な世界の価値観に骨の髄まで染まった人が、何も疑問を感じずに、その延長線上で市政を司るからである。(もう一つのパターンは、市長が客寄せパンダのように単なるお飾りで、能力も使命感もない場合)
慣れ親しんだ世界の価値観だけを拠り所に、自分の詳しい地方自治の事務取扱い能力を政治力と勘違いして、規程に沿って、県や国のご意向を窺いながら進めるのである。
挙句の果ては、権力を利益誘導に利用し、周りをyesmanで固めて権力基盤を強固にし、難題は先送りして将来のつけを貯めこんでいく。
一方で、実体を隠し誤魔化す必要があるので、見た目に良い計画やプロジェクト、イベントに目先を逸らしたり、仰々しいタイトルをつけて大風呂敷を広げたりする。
役人は、数年単位で配置転換があり、責任をとらない職業人生を送ってきてるので、もしくは、責任をとったことがない職業人生を送ってきてるので、市民に対する結果責任について真面目に考えたことすらないのである。
酷い話だが本当だ。
地方の過疎化、人口減少、財政難が深刻になりつつある今日、もしそういう人を市長にしてしまったら、待っているのは希望のない町、希望のない生活、格差の固定拡大(ほとんどの市民は犠牲者)である。
延岡の未来のために敢えて厳しいことを言ったが、このことを、是非周囲の延岡市民に伝えていただきたい。
幸運を祈ります!というか、絶対、幸運を自力で掴んでください!

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