第3話「フェアな戦いの場(土俵)を求める」

「正当な判決を得る」と言っても、もちろん確実な対策がある訳ではない。
また、直接裁判官と論争する訳でもない。
論争相手は、あくまでも当事者(相手方原告もしくは被告)である。
ではどうやって「正当な判決を得る」のか、私が向いつつある方向は、「フェアな戦いの場(土俵)を求める」というものである。

話は違うが、私は、14歳から34歳までサッカー選手だった。
20年以上やれば、サッカーのルール、試合の流れ、選手の動き、アディショナルタイムなど、サッカーの基本に関してはほぼ全てを把握する。
ライセンスは所有していないが、頼まれてレフリーをした経験も数十回ある。

レフリーをした試合のチームも知らないチームではなく、知人がいたりする。
しかし、仮にどちらかに知人がいても、あるいはどちらかに情を感じても、一度ホイッスルをくわえると、そこに100%中立の自分がいる。
サッカーに限らないが、終了まで目まぐるしく試合が展開するので、全神経をプレイを見ることに集中させ、瞬間的に判断することになる。

どちらかを勝たせたいなどと考える余裕はない。
また、自分の選手経験から、自分自身が不公平な判定を絶対許さないし、選手は皆同じ気持ちであることを共有している。
選手の思いを知れば、それを裏切る主観的な判定などできない。

不公平な判定は、スポーツへの冒涜である。
選手、監督、マネージャー、応援する人など、1年以上かけて練習を積んできた成果を、その1時間余りの試合に賭ける。
数十、数百名の人々の夢や希望や、汗や涙や、自信や不安が、その1時間余りの試合に凝縮される。
その貴さの前では、自分の個人的な主観が入り込む余地などない。

ワールドカップの決勝は、莫大な費用、莫大な時間、莫大なエネルギー、選手と監督とスタッフ全員の運命、国民の願い、国の威信を賭けて、90分間が戦われる。
世界で10億人以上の人が観る。
なのでレフリーは、10億人以上の人が納得する判定を90分間し続けなければならない。
どんな手抜きも誤魔化しも遅れも通用しない。

何故人々がここまで純粋に、熱狂的に、一体となれるのか?
フェアだからである。
フェアだから、エキサイティングなのだ。
フェアだから、ドラマが生まれるのだ。
フェアだから、皆納得して愛せるのである。

汚れなきこのステージでは、レフリーは神様になる以外にはない。
それと比べると、裁判の世界は何と汚れていることだろうか!

ここでできることは、アンフェアな戦いの場(土俵)に誘導されないように知的武装をすることだ。
つまり、われわれは、サッカー選手として試合をする場合、反則やオフサイドの判定基準、ケガや選手交代時の対応方法、適正なアディショナルタイムなどについて、通常知っているので、仮に不正をされたり不当な扱いを受けたら分かるし、抗議もできる。

しかし、裁判の場合、素人なので、不正をされたり不当な扱いを受けたとしても気がつかない。
「そんなことがあるの?」と思うかもしれないが、あるから言っている。
そして、サッカーと違い、当事者が気がつかない場合、試合を見ている人もいないので、まんまと不正や不当な扱いは成功する。
またまた「弁護士がいるじゃないですか。」と言うかも知れない。
では逆に質問する。「100%信用できる弁護士をあなたは知っていますか?」
だから、不正をされたり不当な扱いを受けないためには、自分が知的武装をする必要がある。
裁判上の手続き及び民事訴訟法を把握することをお勧めする。

「フェアな戦いの場(土俵)を求める」ためには、さらに罠や誘導に嵌らない必要がある。
「裁判で罠や誘導があるのか?」と言うかもしれないが、あるから言っている。
ひとつは裁判官の個人情報を確かめることだ。ヒラメ裁判官かどうかを判断する材料となる。
もうひとつは、裁判官の言葉には注意が必要だ。
一般論として、罠や誘導には偽装表現を伴うことを言っておく。
説明が難しいが、偽装表現とは、ある結論を導く時、厳密さを欠く定義や不確かな事実の事実認定を前提とした判断を示したり、論点をすり替えて理由付けをするような偽装を言葉にしたものを言う。
油断も隙もならない。

フェアな戦いの場(土俵)が、正当な判決を保証する訳ではないが、少なくとも、アンフェアな戦いの場(土俵)からは正当な判決は生まれない。
一方、アンフェアな戦いの場(土俵)からは不当な判決しか生まれないだろう。
言っておくが、ヒラメ裁判官にとっては、大事なのは自分の評価であり、フェアかアンフェアかはどうでもよいのだ。
だから、不当判決を書きたいヒラメ裁判官にとって、アンフェアな戦いの場(土俵)に誘導することに抵抗などはない。

悲しい現実であるが、正当な判決が得られるかどうかで人生を大きく左右されるわれわれにとっては、悲しんでいる場合ではない。
「正当な判決を得る」ためには、自分でできることをやり尽くす、それしかないだろう。

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