第15話「八百長裁判の正体その3詐欺裁判2」

詐欺は現代日本の不可欠なツール

この裁判が始まった当初は、皆さんと同じように、私もまだ、この国に結構幻想を抱いていた。日本人は、真面目であるとか、誠実であるとか、日本の裁判は公平であるとか、裁判官は正義感が強いとか。

しかし、それがどんなに間違っていたか、それどころか、ある日本人グループにおいては、詐欺行為を日常的に多用していて、詐欺行為なしには日常生活が成り立たないほど不可欠なツールになっていることを思い知った。(グループとは犯罪組織のことではなく、行政や企業、そして司法機関のことである。)

で、そういう視点でこの裁判を分析すると、ものの見事に解き明かすことができる。種明かしすると、なんだそういうことだったのね!という風に、一点の曇りもなく理解できる。

さて、その詐欺行為の中身だが、前回既に「作話(事実を作り変える)」という手法が判決で使用されていることを紹介した。2回目の今回は、「無視(事実をなかったことにする)」をご紹介する。

無視された大規模雨漏り原因

そもそもこの裁判のきっかけとは、辰工務店が施工したリマークビルの屋上からの大規模雨漏りが、平成27年4月28日に発覚したことだった。そして、私が翌日依頼した業者といっしょに屋上に上がると、防水工事の施工不良であることが判明した。(発覚した当初は、厳密な因果関係までは分かっていなかったが、現場検証した防水工事業者は、その場で施工不良を指摘した。)

そして、大規模雨漏りをもたらした原因となったのが、辰工務店による補修工事であるパッチワーク+脱気筒設置工事だった。

私は、リマークビルのオーナーであり、リマークビル新築工事の発注者だったが、この屋上のパッチワーク+脱気筒設置工事については、まったく知らなかった。私が知らぬ間に、辰工務店が勝手に補修工事として施工していたのだ。

大規模雨漏りとパッチワーク+脱気筒設置工事の因果関係については、私でなくとも、中学生程度の知識レベルがあれば理解できることである。つまり、大規模雨漏りの原因を探すと、パッチワーク+脱気筒設置工事の結果のシート剥離以外は何もない。

しかし、雨漏りの詳細なメカニズム、そして、オーナーである私に断りもなく、いつ、誰が、なぜ、どのようにパッチワーク+脱気筒設置工事をしたのかというプロセスは不明だった。そこで私は辰工務店会長に問合せ書簡を送った。すると、辰工務店は問合せの回答をするのではなく、2週間後に私の携帯に提訴通告をしてきた後、3週間後に300万円の損害賠償請求の提訴をした。

裁判当初、私は辰工務店の提訴は不当であることを主張する反訴をしたが、本来私にとって最も解明すべき重要な争点は、大規模雨漏りの原因と責任問題だった。

責任問題と言えば、福島原発事故の責任は不可抗力なのか、津波の危険性を予知できた筈なのに対策を怠った東京電力の経営者に相応の責任があるのかが大変興味深い。

つまり、大規模雨漏りという結果は歴然としている。では、その原因が何で、そこに人の責任は介在しないのかするのか、する場合、責任者(企業経営者)はどのようにその責任を果たすのかが私の問題意識だった。

原因の特定

責任を問うには、当然のことながら原因を特定しなければならない。第一審で繰り広げた私の主張に対して、裁判開始から約1年2ヶ月間、辰工務店は何も反論しなかった。原因が明白なので反論できなかったのだ。自ら認めることはなかったが、だれが考えても原因が施工不良にあることは明白なので、私は、当然裁判官もそう結論すると思っていた。

ところが第一審の岸田二郎裁判官は、大規模雨漏りの原因については、一切触れなかった!私は、念には念を入れて、この分かりきった雨漏り原因の特定作業に10ヶ月間を費やして、雨漏り原因となった欠陥工事を示す31種類もの証拠(写真、マニュアル、図面、資料、専門家によるレポート)を提出し、約13万文字の主張と立証を展開した。ところが、岸田二郎裁判官は、ものの見事に、完璧に、これらを全て無視した!!

要するに、判決文において、大規模雨漏りの原因について1行も、一言も言及しなかったのだ。

まさか、裁判で、そんな奥の手があるとは想像しなかった。これは詐欺だ!

高橋文清裁判官の控訴審判決では、大規模雨漏りの原因について、次のように述べている。

雨漏りが施工不良を原因とするものであると認めるに足りる的確な証拠はないから、辰工務店の実施した工事に欠陥が存在することも同様(認めるに足りない)である。

つまり、雨漏り原因自体については一切触れず、「(欠陥工事であることを)認めるに足りる的確な証拠はない」という結論だけを述べた。一審同様、欠陥工事を示す31種類もの証拠(写真、マニュアル、図面、資料、専門家によるレポート)と、私の約13万文字の主張と立証を無視したことは何も変わらない。これは詐欺だ!

「原因がないことにする」という詐欺手段

お分かりのように、一審も控訴審も「雨漏り原因自体については一切触れない」ことによって、インチキ判決を導き出している。この「原因がないことにする」という詐欺手段は、実は、今の日本社会で多用されている。

よくいじめによって自殺した子供の自殺原因を調査する話を聞くが、ほとんどの場合、いじめと自殺は明らかに因果関係がある。ところが、いじめという原因自体がなかったことにすれば、だれも責任を問われない、ただの自殺になる。

簡単なことだ。アンケートや証言を揉み消してしまえば「認めるに足りる的確な証拠はない」ことになるではないか。詐欺をしようとする人間にとって、これほど都合のよい手段はない。

そして、裁判官は実に悪質である。「揉み消す」のではなく、31種類もの証拠と約13万文字の主張と立証を完全に無視したのだ。逆に言えば、無視したのは、それらを無視せずに採り上げれば、必然的に欠陥工事を認めざるを得ないことを示す証左である。

今やスポーツの世界では、テニス、サッカー、バレー、野球など、ビデオ判定が当たり前になっている。つまり、人為的な要素を排し、客観的な方法で公平性を確保することの重要性が世界的な共通認識となり、システムとして導入されたのである。スポーツは、本来ワールドワイドの競技だから、世界共通のルールと公平性が命である。したがって、公平性を担保するビデオ判定は、選手のみではなく、競技自体、そして、それを見て楽しむ世界中の全ての人々にとって、不可欠で重要なシステムなのだ。

一方、日本の裁判は、公共の福祉を忘れ、道理に背き、ひたすら裁判官が特権を振り回し、詐欺手段を多用し、人権を侵害し、国民に損害を与え、社会秩序を乱している。裁判官が詐欺行為を多用しているという現実は、取りも直さず、彼らが、この国の不公平格差社会の立役者であり、ユニバーサルな価値観に逆行する時代の異物であることを意味している。

すなわち、詐欺裁判は、本質的に、裁判官という個人の問題ではなく、一企業の問題でもなく、社会全体が病んでいることを象徴する問題である。言い換えれば、大変残念ながら、浅ましい利己主義と引き換えにした不正義と不公平が、公的部門を中心にこの国を極度に冒しているのだ。

われわれは、次世代や世界に対して責任がある。これを改善するには、裁判のガラス張り化(可視化)しかないだろう。悲しいことだが、裁判官の理性や良識に期待することは、とても叶わない。放置すると、いずれ国を滅ぼすことになる。(その前に、自虐的だが、未熟な裁判官達が権力を濫用して日常的に詐欺裁判をする不公平な国ニッポンとして、世界から嘲笑される日は近い。インターネット時代の21世紀の世界では、暗部を隠そうとする努力は無に帰す運命となるだろう。)

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク