第8話「八百長裁判の証明その3判決文代理作成疑惑」

これが裁判官の文章?

インチキ判決については、第4話で要素分析によって客観的な立証を紹介した。
この要素分析を基に、次のステップは、論理構成の分析をしなければならない。

いつもサッカーの話で恐縮だが、相手チームを丸裸にするとき、いきなり戦術分析をするのは、賢明ではない。
なぜなら、戦力の要素は選手個々であり、その個々が組み合わさって組織となり、組織が戦うのであり、組織はチーム内のひとつのコンセンサス(合意)に基づいて、戦術を実践する。
そしてそこには、なぜそうするのかという合理性や目的が裏づけとなっている。

私の頭の中には、相手サッカーチームを分析すると同様な分析ステップのイメージがあった。

しかし、その作業を開始してまもなく、強烈な違和感を感じた。
その違和感とは、判決文の文章だった。
正直、これまでに読んだ判決文及び論文の中で、最も読み辛く、文章としては最低の駄文と言える。
しかし、もし、というより恐らく、論理的な稚拙さや誤りを見破られないように、敢えて意識的に脈絡のない論理構成で分かり辛くし、曖昧な表現の羅列を積み重ねることによって名誉毀損という結論をでっち上げたのだとしたら、そのインテリ詐欺レベルはかなりのものである。
ここで、別な大きな疑問が生じてくる。
私の「インテリ詐欺レベルはかなりのもの」という評価が間違いないなら(実際間違いないが)、この判決文の作者は、インチキ判決文を書きなれているということになる。

こんなことを言うのは、以前私は、大学入試の小論文指導をしていたので、作文が、誤魔化しがきかず、想像以上に考え方や価値観、人間性が滲み出てくる、かつ、作者特有の個性が出ることを経験的に知っているからである。

裁判官は、職業柄法律に詳しく、文章を書き慣れているが、それと高い詐欺レベルの駄文を書く力は、両立するものなのか?
つまり、高い詐欺レベルの駄文を書くには、詐欺能力、詐欺経験が必要だが、本来裁判官には不要な能力であり、経験である。

さらに、インチキ判決文の駄文は、私が知っている標準的な裁判官の文章力から考えて、余りに不釣合いである。
つまり、この駄文を裁判官が書いたということは、にわかには信じられない。
歌が上手な人が下手くそに歌えないように、元々文章力がある人には駄文は書けない筈だ。

稚拙な論理構成

加えて、論理構成が、極めて稚拙、つまり、幼稚でまずいのです。
私は国語の先生ではありませんが、小論文指導をしていた関係で、相当数の論説文を読んでいます。
裁判をするようになって、大学教授の論文と判例も相当数読みました。
しかし、このインチキ判決ほど子供騙しのような劣悪な論理構成の文章は読んだことがありません。

「これは本当に岸田裁判官が書いたのだろうか?」
私の頭の中で、疑念の種がみるみる大きくなっていきました。

当日朝の判決延期

この瞬間、ある出来事が思い出されました。
平成30年7月10日判決予定日の朝8:30、宮崎地方裁判所延岡支部書記官から電話があり、判決は7月20日に延期されたと告知されました。
通常ではあり得ない話です。
判決日の7月10日は、口頭弁論の5月7日時点で岸田裁判官自身が決定していたことですから、この10日間の延期は、岸田裁判官自身によるものではなく、第三者の介入があったことを示しています。

この延期された10日間の間に、岸田裁判官に代わって誰かがそっくり書き直したのではないか?
つまり、当初7月10日に実施する筈だった判決文を、裁判所は、事前に誰かに見せたことになります。

誰かとは誰か?

ここまで考えた時、私の疑念は確信に変わりました。
このインチキ判決文の文章は、その誰かの文章にそっくりなのです。

判決文代理作成疑惑立証へ

私は、判決文代理作成疑惑の解明及び立証をすることにしました。
まず、「原判決文を岸田二郎裁判官以外が書いた」ことを確かめるのは、そう難しいことではありません。
過去に岸田二郎裁判官自身が書いた判決文と比較すれば、即明らかになります。
こんな言い方をすると失礼ですが、岸田二郎裁判官が標準的な裁判官の文章力があるなら、このインチキ判決文との差は、圧倒的な筈です。
私は、平成30年9月24日、裁判所に「岸田二郎裁判官が裁判長として過去担当した事件で、岸田二郎裁判官自身が書いた15ページ以上ある判決文2例以上」を請求しました。

裁判所は、私の疑念が真実なら、疑惑解明を恐れて出せないでしょう。
裁判所が、私の請求に応えて、「岸田二郎裁判官自身が書いた15ページ以上ある判決文2例以上」を出したら、私の疑念が真実であることを立証できるでしょう。

さあ、裁判所は、どんな答えを出すのでしょうか?

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