第4話「裁判を透明化しなければ国民の主権は侵害される」

もうひとつの「どうしたものか?」は、私自身がノウハウとスキルを身に付けて、首尾よく正当な判決を得ることができたとしても、国民が払う不当判決による犠牲の大きさ、不幸になる人数は膨大であり、日本社会の荒廃は延々と続くという失望感のことである。

この疑問に答えるひとつの方法は、私自身の経験を情報公開することによって、裁判の透明化とノウハウの共有を図ることである。
民事訴訟は原則公開であり、規定上ブラックボックスではないが、プライバシーの侵害や名誉毀損の問題、さらに露出されない運営実態から、事実上ブラックボックスに近い。
したがって、ブラックボックスであることを幸いに、当事者の嘘八百と裁判官による不当な扱いが横行する。
裁判が、もし、スポーツのように中継放送されたら、こんな事態は起こり得ない。

私は、平成29年12月26日私自身の尋問において、相手方の嘘八百と裁判官による不当な扱いを受けた時、透明化の必要性を痛感した。
また、相手方と裁判官に対する怒りはもちろんだが、それより、こうした状況を許している制度自体を再構築する必要があると思った。

そのためには、制度の欠陥を国民に認識してもらわなければならない。
裁判はフェアに行われているという誤った幻想を完全否定しなければならない。
詰め込んだ法律知識と判例という過去が頼りの、国によってライセンスと権威を与えられた裁判官とは、大きな欠陥を抱えた制度が産んだ、勝敗を決めることができる独裁者のことである。

今われわれ国民が求めるべきは、一人の独裁者を葬ることではなく、制度の再構築だ。
勝敗を決めるのは、レフリーではなく、プレイヤーだという制度に変えなければならない。
必要なのは、フェアな制度とフェアな運営を支える役割を担う裁判官であり、それを担保する透明化の仕組みである。

生田暉雄弁護士は言う。国民主権を実現する手段は、選挙と裁判であると。
その片方である裁判が機能不全に陥っている日本社会は、今のままでは、永遠に国民主権を実現することはできない。

私は、そのことを、この1年余りの自らの裁判経験を通じて確信した。
「法の番人」などという厳かな、志の高い存在は、中学校の教科書の中の話であって、実際は、出世のために上が気に入る不当判決を書く、下級公務員と何ら変わらない「番犬」と言ってもおかしくない現実がある。
裁判制度自体が、余りにアンフェアで愚かしく、不幸を産むだけの価値のない代物に成り下がっている。
一刻も早く葬り、再構築しなければならない。

人は誤り、権力は腐敗するということは、自然の摂理だが、スポーツのように透明化されなければ、例外なく、全ての権力は腐敗する。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク